今日は紀元2676年の日本の誕生日、紅白まんじゅう、そういえば小学校の時、配られて日頃味わえない美味に喜んでいた
- miyoshinoie
- 2016年2月11日
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今日2月11日は、神話上の初代天皇、神武天皇が即位した日を記念して「建国記念の日」の祝日となっています。何故2月11日かというと、初代神武天皇が即位されたのが旧暦の皇紀元年一月一日だからです。これを新暦に直すと、2月11日になる。この祝日については右翼思想だの赤思想だの、中国と韓国では日本帝国軍国主義の祝いとは何事ダ!と、ここ200年にわたり多々議論されてます。「紀元節」は戦前、日本を「神の国」として、国民を軍国主義と侵略戦争にかりたてるために利用されてきました。そのため戦後、主権在民や思想・学問の自由、信教の自由と政教分離などを定めた日本国憲法の民主的条項に反するものとして廃止されました。 ところが50年前の1966年、佐藤栄作内閣が多くの国民の反対を押しきって祝日法を改悪し、「建国記念の日」と称して「紀元節」を復活させました。それは天皇の元首化など憲法改悪や軍国主義復活の企てと結びついたものでした。今年は、自民党政権が強行した「紀元節」復活から、ちょうど半世紀の節目となります。
安倍首相は一昨年から「建国記念の日」を迎えるにあたってのメッセージを発表していますが、これは現職の首相としては初めてのことです。第2次安倍晋三内閣の発足以降、政府が「愛国心」と結んで「建国記念の日」をことさら強調する動きを強めていることが日本帝国軍事国家に繋がる!と共産党も中韓も怒っている、ということです。
私も還暦を迎える歳となり「そうケンケンせずとも日本の誕生日だから饅頭でも家族で食べて今日の平和を感じる」祝休日で良いと思う。
実は、この日は、戦後の一時期、祭日ではなかったのです。建国記念日のことを、昔は「紀元節」といいました。「節」というのは、節目のことで、転じて記念日を指す言葉です。紀元節を祭日にすることは、明治5(1873)に定められました。学校では、この日の意義を全体朝礼などで校長先生が壇上からお話くださり、生徒には紅白まんじゅうが配られたりした。子供の頃、この紅白まんじゅうが、配られていたのを、思い出しました。
我が国の建国の日を祝う紀元節は、我が国の建国の理想である八紘一宇の精神を国民が再確認する日でもありました。八紘一宇というのは、天の下が一つの屋根の下にある状態を指します。神武天皇は建国の詔において、 「八紘をおほひて宇と為む(八紘一宇)こと、また可からずや」 と詠まれました。 口語訳すると、 ~~~~~~~~~ 天地四方、八紘にすむすべてのものが、 一つ屋根の下の大家族のように 仲良くくらそうではないか。 なんと、楽しくうれしいことだろうか。 ~~~~~~~~~ となります。これが、我が国の建国の理想です。 英語では、八紘一宇は、Universal brotherhood(世界同胞主義)と訳されます。戦前のわが国の外交文書では常に公式に、この用語が使われていました。日本は、こういう高い理想をもって始まった国なのです。 ところが、この紀元節が、昭和23年4月施行の祝日法で、GHQによって廃止されられてしまいました。紀元節を認めると、天皇を中心とする日本人の団結力が高まって、 再び米国の脅威となる、というのです。 さらにこの3年前には、「神道指令」によって、 日本の学校で古事記や日本書紀の神話を学校で子どもに教えてはいけないことにさえ、されています。そしてそれはいまだに続いている。 昭和27年、サンフランシスコ平和条約が発効して、日本の主権が回復しました。このとき、日本国内では、建国記念の日を復活したいという動きが顕著になり、日本政府は、世論調査を実施します。 そして、なんと、祝日に残したい日は、1位正月、2位天皇誕生日、3位は紀元節となった。当時の吉田茂総理は「(独立に際し)紀元節の復活から手を付けていきたい」と国会で答弁します。そして神社の社頭などで署名運動が開始され、紀元節復活運動は、国民的な運動にまでひろがります。 紀元節の復活は、その後なんども国会にも提出されますが、一部には強い反対勢力もあり、なかなか容易なことではなかった。なんと建国記念日は、9回も廃案にされ、ようやく実現したのは、昭和41(1966)年6月のことです。 建国記念日は、終戦後に奪われた歴史を、日本人が日本人の手で、平和裏に取り戻した日でもあるのです。
と、蘊蓄が今も様々な新聞で報じられる「建国記念日」ですが、私はこの日にに偶然知り学んだ仏教での教えを思い起こします。
涅槃経に「姉を功徳天(吉祥天)と云い人に福を授け、妹を黒闇女と云い人に禍を授く。此二人、常に同行して離れず」とあります。
「禍福は表裏一体。常に心しておきたいもの」と紅白饅頭をたべましょう。