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15個の石が意味するものは?京都・龍安寺の石庭に隠されたメッセージ「物事は完成した時点から崩壊が始まる」「吾唯足るを知る」


京都では三千院や龍安寺で石楠花が見頃を迎えている。また、京都国立博物館では、臨済禅師1150年、白隠禅師250年遠諱を記念して12日から開催されている特別展覧会「禅-心をかたちに-」が催されている。鎌倉時代に日本に伝わった禅宗は、武家のみならず、公家や民衆に広まり、社会に影響を与えたとされる。展覧会では、禅宗15本山(臨済宗14、黄檗宗1)に所蔵される禅僧の肖像や墨蹟、仏像、障壁画、工芸など多彩な名宝224点(国宝19点、重要文化財104点)を一堂に集め、禅宗の成り立ちから禅文化の広がりを紹介している。

華やかな金閣寺や清水寺もいいけれど、たまには禅の心を感じられる龍安寺の石庭で、日頃の雑念を取り払ってみるのもお奨め。この石庭は立って見るのが正しいスタイル、そして庭を眺める際に注目したいのが、立ち並ぶ15個の石の意味。

龍安寺(りょうあんじ)は室町時代、細川勝元によって創建されたお寺です。有名な枯山水庭園は簡素な造りで禅文化が盛んだった当時の時代背景を色濃く残しています。イギリスのエリザベス女王が1975年に来日した時に龍安寺を訪れ石庭を絶賛しました。そのニュースを英国放送協会(BBC)が大々的に取り上げたことで「Rock Garden」として世界中にその名前が知れ渡りました。以来龍安寺は世界的に有名な庭園となり1994年には世界文化遺産に指定されました。

訪れる前に事前に知っておかなければわからない魅力が沢山あります。知らずに行くのと知ってから行くのとでは雲泥の差です。龍安寺最大の見どころはなんといっても日本を代表する枯山水の庭園です。枯山水とは水を使わず石や砂などにより山水の風景を表現する庭園のことをいいます。石庭は幅25m、奥行き10m(小学校などにある25mプールと同じ大きさ)の75坪ほどの敷地に白砂を敷き詰めたものです。その中に15個の石を五、二(七)、三、二(五)、三(三)に点在させたシンプルな庭園です。禅宗文化が発達していた時代の禅の境地が込められた庭園といえます。石庭は誰がつくったのか?庭石には「小太郎・口二郎」という刻印が刻まれています。しかしこれは作者を断定する材料にはならないようです。枯山水の作者は諸説ありますが、現在でも不明となっています。石の数(七五三)にこめられた思いとは?龍安寺に訪れた際は是非庭に立ち並ぶ石の数を数えてみて下さい。石の数は全部で15個なのですがどの角度から眺めても必ず1個の石は他の石に隠れて見えないように造られています。とても不思議です、なぜそのような配置にしたのか? 諸説あるようですが、有力なふたつを紹介します。

(七五三説と虎の子渡し説)七五三説東洋の世界では「15」という数字は「完全」を表す数字です。どの角度から眺めても必ず1個の石は隠れて見えないように作られている庭は「不完全」な庭ということになります。東洋では「陽数字」は縁起のいい数字とされてきました。陽数字とは奇数の数字のことです。石庭にある15個の石は東から(五、二)、(三、二)、(三)と並べられています。このうち最初の「五・二」を足して「七」、次の「三・二」を足して「五」、最後はそのまま「三」と3つに分かれて置かれています。この陽数字が「七五三」となります。15は七五三を全て足した数で縁起のいい数の総数ということになります。足りないものを見つめ、今の自分が存在することを心から感謝することを忘れてはならないという想いが込められているのです。ちなみに「9」は陽数字の最大の数字で主に朝廷で重んじられてきた数字です。朝廷を9が重なる「九重(ここのえ)」というのはそのためです。また朝廷の儀式で菊の節句(重陽の儀)が行われるのは9月9日という最高に縁起のいい日なのです。庶民はさすがに恐れ多くて「9」を使うことを遠慮したのかも知れません。東洋では十五夜(満月)にあたり、15という数字は「完全」を表すものとしてとらえる思想があります。月は15日かけて満ち欠けを繰り返します。15は月が満ちる最も完成された姿を見せる日の日数です。15に1つ足りない14はその意味でも「不完全さ」を表すのです。「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」かつて藤原氏が栄華を極めていた時に藤原道長が詠んだ有名な歌です。満月が欠けるようなことがなければこの世の中は全て自分のもののようだと満月が完全なものの例えに用いられています。どれほど栄華を極めていたかは、息子・藤原頼通が宇治平等院鳳凰堂を建てたことを考えると想像がつきます。あの場所はかつて源氏物語の主人公・光源氏のモデルとなった源融(みなもとのとおる)の別荘跡です。そんな誰もが羨む場所を買い取って人々の極楽浄土を願って鳳凰堂を建てたのです。日本には「物事は完成した時点から崩壊が始まる」との思想があります。日光東照宮などもそうですが、建造物をわざと不完全なままにしておくことがあります。龍安寺の石庭も恐らくそのような造りをしたのではないかと伝えられています。

龍安寺に行くと部屋の廊下に座って石庭を眺める人が沢山います。しかし実はこの庭は部屋から立って見るために作られたといわれています。なぜなら部屋の内部から立って見ると、15個全ての石を見ることができる地点があるといわれているからです。南禅寺の大方丈などに「虎の子渡しの庭」と呼ばれるものがあります。配置された複数の石が川を渡る数匹の虎の姿に似ていることから名づけられたものです。この様子は昔の中国の説話に基づいたものです。虎が子を産むとその中には必ずヒョウが1匹混じっているというものです。ヒョウは一緒に生まれた虎を食べようとしてしまいます。例えば3匹の子供を産んだら、2匹が虎で1匹がヒョウが産まれます。母親の虎が川を渡る時は子供の虎を子供のヒョウと2匹だけにしないようにしなければなりません。母親は子供のヒョウを背負って1匹ずつ子供の虎に付き添って川を渡るのです。母親は2匹の子供の虎を川の向こう岸に渡すまでヒョウを背負い2往復するのです。

どのような子供も平等に愛情を注ぐ母の子供を想う気持ちがよく表れた故事です。子供は多めに生んで育てられなければ殺すか捨てるというのが一般的でした。そんな貧しい世相を反映し込められたメッセージだったのかもしれません。ヒョウも虎もどちらも自分が同時に生んだ子供です。虎の母親はとてもたくましくて優しいお母さんなのです。昔はこのように庭や建築様式、絵画などに逸話の内容や仏教の教えなどを連想させるものを取り込んでいたのでしょう。このような先人が後世に伝えたい教えは数限りなくあるのでしょう。でも残念ながら現代はあまりに現実的な日常でしか生活をしていない人が多いように思います。

遠近法の謎実は知らない人がほとんどですが、石庭の平面は平らではありません。見てわかるほど傾いてはいませんが左奥が低くなっています(言われてもあまり気づきません)。これは排水を考慮した工夫です。また、西側の壁は手前から奥に向かって50センチほど低く造られています。これは視覚的に奥行を感じさせるための工夫です。遠近法を利用し狭い庭を広く見せる高度な設計手法が使われているのです。高さ180センチの土塀は油土塀です。長い年月を耐えるために堅牢な作りになっています。龍安寺が創建されたのは戦国時代です。それまでに造られた日本の庭園や絵画を見る限り遠近法の技法は使われていません。遠近法はヨーロッパのルネサンス期に主に採用されはじめた技法です。日本にキリスト教が伝わったばかりの時期でもあるので、キリシタン大名経由で当時の作庭家に伝わったのかもしれません。ちなみに江戸時代初期に造営された二条城、桂離宮、修学院離宮、曼殊院門跡などを拝観してみて下さい。その随所に遠近法が使われているのが分かります。これらの庭に直接的、間接的に関わっていたのは茶人で作庭家でもあった小堀遠州です。彼は利休七哲の1人・古田織部に師事した茶人で「綺麗さび」を確立させた人物としても有名です。

現在の京都の美意識は江戸寛永期に花開いたこの「綺麗さび」の価値観に基づいたものが多いように思います。龍安寺の石庭の設計にはもしかしたら小堀遠州が関わっていたのではという推測も出来るかも知れません。枯山水庭園以外の龍安寺の魅力を簡単に2つご案内します。侘助(わびすけ)椿方丈の東庭の横には、豊臣秀吉が絶賛したといわれる日本最古の侘助椿があります。2月上旬から3月末が見ごろです。桃山時代に「侘助」という人が朝鮮から持ち帰ったのでこの名がついたと言われています。以後侘助椿は利休も好んで茶道の挿し花として用いられるようになりました。

手水鉢(ちょうずばち) つくばい龍安寺には銭形をした知足のつくばいがあることでも有名です。中央の水穴を口の字に見立て上下左右に「五・隹・疋・矢」の四文字が刻まれています。「吾(わ)れ、唯(た)だ、足ることを知る」と読むことができます。これは釈迦が説いた「知足の心」を図案化したもので、徳川光圀が寄進したものといわれています。つくばいは茶室などに入る前手や口を清めるための手水を張っておく石です。

「吾唯足るを知る」という意味は石庭の石を一度に14個しか見ることが出来ない事を不満に思わず満足する心を持つことの教えです。今ある命や健康、五体満足な身体など与えられているもの、すでに持っているものに感謝しなさいということです。完璧は目指さなければならない究極の目標であっても、それを求めてはいけないということなのかも知れません。アップル社創設者スティーブ・ジョブスも愛した日本の「わび・さび」の奥深さと龍安寺。ジョンレノンもデヴィッドボウイも不思議と愛した「龍安寺」日本人が極めないのはもったいないことだ。


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