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今年は閏年だから四月三十日の今日が立春から数えて八十八夜、そしてこの「本日のモノ申す」も毎日休まず百十回続け終りに。千秋楽にちなみ「いにしえの知恵知り暦を味方に」


子どもの頃の暦の思い出、わが家のお勝手の柱に年末の支払い時に三河屋からもらった分厚い「日めくりカレンダー」がかけてあった。それを毎日一枚ずつ切り取るのが私の仕事でした。一枚ごとに「一年の計は元旦にあり」「時は金なり」などと諺(ことわざ)が書かれてあり、その横に「大安」「仏滅」などの文字も見えたが、子供の私には日常で当たり前の言葉だけど不思議なことであった覚えがあった。切り取ったカレンダーは、母のところに持っていくという約束でした。裏が白いので、母はそれをメモ用紙にしていたようだ。それとともに、母から暦についてのいろんな知識を教えてもらった。「友引の日はお葬式を出してはいけない」「仏滅は最も悪い日であるから、祝儀などをしてはいけない」という内容。小学六年生の時、日記を書いて先生に提出することが宿題で毎日イヤイヤ書かされていたが、思春期から反抗期には親にも先生にも友達にも話せない、恋愛感や悩み、漠然とした空虚感と不安を毎晩、大学ノート1ページほど他人には見せれない思いの丈を書き綴るのが苦もなくペンも走り、知らぬ間に1時間以上費やすのが日課となっていた。五木寛之の「青春の門」や学生運動や日常の多相な人々について綴った「二十歳の原点(高野悦子)」が好きで、大人なれば感じれなくなる想いを自分も「わが青春」を綴っているのが愉しくも有り、勉強もせず無駄に時間を費やした自責と後悔の念の日々、と悔いながらも日記の次はギターを弾き、ラジオから聴こえる世界を見てしまう。要は勉強逃避していたに過ぎない、あの綴りとギターの深夜時間を勉強集中していたら東大に行けれてたかも!?と真面目に思ってもしていた。今想えば「あれが自分の青春であり自己形成、個性形成であった」と判る。

好奇心旺盛のあの頃、六曜(ろくよう)の読み方を調べた記憶も有る。

1)先勝(せんしょう・せんかち・さきがち・さきかち) 2)友引(ともびき) 3)先負(せんぶ・せんぷ・せんまけ・さきまけ) 4)仏滅(ぶつめつ) 5)大安(だいあん・たいあん) 6)赤口(しゃっこう・しゃっく・じゃっく・じゃっこう・せきぐち)

何かの本をそのまま写したものと記憶しているが、思考キャンパスが今ほど汚れていない自分にはスンナリと「先人の知恵」として咀嚼できていた。大学を卒業すると、結婚式や葬式に出る機会が多くなり、母から教えられたことが事実であることを知った。これまで数多くの結婚式に出たが、一度も仏滅の日であったことはなく、また友引の日の葬式もなかった事実が、日本人にこれ程にも常識化されているのに驚きだ。

そもそも六曜の思想は中国で起こるが、わが国に入ってきたのは、鎌倉時代末期から室町時代初期頃であろうと言われている。そして江戸末期になり、民衆の間に深く浸透し、毎日の暮らしに大きな影響を与えた。

明治時代えは、政府は六曜を迷信として廃止したが、現実として、六曜はなくならず、現在も暦のなかで重要な位置を占めている。

六曜とともに、今も多くの人が気にしているのが運勢だ。世の中には、幸運な人もおれば、不運な人もいる。このような運・不運は人間の力ではどうすることもできないもの。いくら努力しても運勢は変えられない、努力して変えられるならば、それは運勢ではないと思う。

ところで、それぞれ人が持っている運・不運の巡り合わせを九つの星で占う、九星(きゅうせい)も暦に載っている。この九星も中国から伝わったもの。なお九星とは、一白(いっぱく)・二黒(じこく)・三碧(さんぺき)・四緑(しろく)・五黄(ごおう)・六白(ろっぱく)・七赤(しちせき)・八白(はっぱく)・九紫(きゅうし)の九つ星のことであり、これに木・火・土・金(ごん)・水の五行を合わせて、一白水星・二黒土星・三碧木星・四緑木星・五黄土星・六白金星・七赤金星・八白土星・九紫火星と呼んでいる。細木数子著本や高島暦などには詳しく書かれている暦もあり、日常の運勢や冠婚葬祭の常識を気にするなら一読の勝ちはあると思う。

科学的・合理的なものの考え方、見方をする人々のなかには、六曜や九星を迷信であると一笑に付す方もいる。一方、六曜や九星は、私たちの生活の羅針盤とも言われる暦の中で、毅然として重要な位置を占めていることも現実でもある。六曜や九星が迷信と言われながらも、冠婚葬祭や住居新築時期や間取りの位置方角なだ人生節目や大事を決める祭には、暦のなかに生き続けている理由は、これらの持つ歴史と伝統の重さであると思う。どんなスタイルにせよ、運勢・運命・縁起は今も老若男女問わず人々の定番の関心事で本屋では必ず前列に関連書物が有る。

不安や苦悩は万人時代を通じて背負い暮らしている証でもある。困難や不遇に遭遇した時に何もせず落ち込み嘆くだけの者、乗り越えるためにと打開へ励み努む者、現実を受入れて現状を自分のスタンダードとし踏み台にして進む者。客観的に受動的に遭遇する事象が運命ではなく、自分が能動的に主体的に行うこと自体が運命であり運勢であると思う。と、百十回のネット記事を基にコラムエッセイした「本日のモノ申す」ラスト投稿として、暦的には人生一巡りした若輩還暦爺なりに連日百十のまとめとしてみた。ありがとうございました。

八白土星の私は冒頭図推移に従い今日までの静観期を終え、明日からの収穫期・悦楽期を経て8ー9月の変動期ごろにには、また、雑見聞学コラムとして気まぐれに週1回ほど、障害者身重なり還暦体力に応じて投稿させて頂きます。よろしくお願いします。

みよしの家」ホームページ「本日のもの申す」寄稿者:加藤千幸


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