「ズッ友チョコ」(ずっと親友だよ、という意味)最悪の義理チョコ、「義理と人情を秤(はかり)にかけりゃ、義理が重たい男の世界」「義理チョコも笑顔添えれば おもてなし」
- miyoshinoie
- 2016年2月15日
- 読了時間: 3分

ずっと昔「義理ならいらないよ」 と言ったら、「何言ってんの? 温情に決まってるじゃない」 と言った女性がいたが、彼女は間違っていたと思う。心優しい人間は、時にはウソをつかなければならない。今年のバレンタインデーが日曜日であったため、オフィスで配られるいわゆる「義理チョコ」需要が減少したらしい。
この極東の島国で暮らす人間たちは、古来から、「義理」を「人情」よりも優位な徳目として位置づけてきた。このことが具体的に何を意味しているのかというと、要するに、「私心」よりは「公の建前」を重視し「個人的」な「わがまま」よりは「社会人」としての「たしなみ」に従うのが、あらまほしき大人の生き方だということで、つまるところ、われわれは、「個人」よりも「集団」を大切にするべく条件付けられている生き物なのである。「義理」は、独立した「個人」のオリジナルな「内心」ではない。
バレンタインデーに女性から男性にチョコレートを贈る習慣が定着したのは、そんなに古い話ではない。私は、バレンタインという言葉が、まだほとんど誰にも知られていなかった時代のことを記憶している。バレンタインデーは、当初「年に一度だけ女の子が愛の告白をしてもかまわない日」として、中高生の間に広まったゲームみたいなものだった。私が中学校に入学したのは1969年だが、その時には既に、バレンタインデーに関する故事来歴は、少なくとも都内の男女共学の公立中学に通う生徒の間では、常識に属する知識となっており、それゆえ、2月14日は、13歳の子供たちにとって、一年のうちで最もスリリングな一日だった。小学校に通っていた時には、そんな話は聞いたこともなかった。ということは、1968年までは、バレンタインデーにまつわる愛の告白の伝統は存在していなかったことになる。ともあれ、バレンタインデーをめぐるエピソードは、1970年代にはいるや、あらゆる少年少女向けの漫画雑誌の正月明けからこっちの誌面を独占する、致死的に重要なテーマになっていった。ということは、バレンタインデーをめぐるあれこれの口承やトピックの最初の発生が、正確にどの時点に始まるのかはともかくとして、それが爆発的に普及したのが60年代の末期から70年代の初頭に至る数年の間であったことは、まず間違いのないところだと思う。 さてしかし、その「女の子からの愛の告白」というややリキみ返ったモチーフを含んだ可憐な物語は、実のところ、そんなに長持ちしなかった。
ま、ウンチクはこれぐらいにして高齢の「バレンタイン今どき川柳傑作選」から気にいった作品を拾ってみた。
・チョコ売り場 そこで父ちゃん 何してる?
・妻のチョコ 昔ドキドキ 今動悸
・チョコくれた 娘も気づけば 成人式ビッグママ
・老妻の 手作りチョコに 不整脈
・仏壇へ お返し無しの チョコ供え
・イクジイの 苦労吹き飛ぶ 孫のチョコ
・イクジイに 孫一同の 感謝チョコ
・義理チョコが 無言で求める 倍返し
・倍返し しそうな人だけ チョコあげる
・義理・本命 さばく女の 二刀流
・オレだけど 母さん助けて チョコがゼロ
・孫からの チョコは最高
・チョコ選び 仕事に活かせ その熱意
・チョコの腕 上がるばかりで 三十路越え
・チョコレート 爺ちゃんに来て 俺にない
・倍返し する気があるのに チョコこない
・義理チョコに 人の情けを 知る今宵
・チョコ買いに 行ったお店で 妻に会い・・・
・もらったか 三十路の息子 答えなし
・チン鳴らし 祖母仏壇に 愛のチョコ
・チョコ来たら 墓前に置けと 書く終活
・この年まで 生きてて良かった 孫のチョコ