「夕日に向かって走れ!沈まぬように」「明るくなる前のダイアモンドリングが美しい」「横綱まで登ったら護るだけ、登ってくる者に倒される迄」「勝ったと思った時が負けの始まり」
昨日は骨身まで寒く冷たい雨の日で散々な外出だった。まだ少し冬の寒さが残る日が続いているが、来週の「春分の日」を過ぎれば、一気に春シーズン。そろそろ、サクラの開花宣言が出る頃となりました。一番早い開花予想は東京で3月18日です。福岡は3月19日、大阪は3月23日、名古屋は3月21日、そして仙台は4月6日となっています。
「花は半開を看(み) 酒は微醺(びくん)を飲む。 大いに佳趣あり。若し爛漫(もうとう)に至らば、便ち悪境を成す。
盈満(えいまん)を履(ふ)む者、宜しく、之を思うべし。・・・」
満開に咲き乱れている花は確かにきれいですが、すぐに見飽きてしまいます。それよりも五分咲きぐらいの方に、かえって風情があるようです。満ちたりた状態というのは、だれでも願うところです。しかし、それが果たして幸せなことなのかどうか、よくわかりません。花の見ごろの判断は人それぞれの感性によって異なることであろうが、風趣好みの人はやはり半開の美の奥ゆかしさに魅せられるものである。世間の人は一般に花は満開が一番見ごろで美しいものだと思われがちである。まさに満開の花の美しさは感動を覚えることさえあるから、美しいと思い込むのは当然である。だが、その満開の花より半開こそ見ごろであり、本当に生き 生きとした美しさを感じさせるし、奥ゆかしさがあり、却って趣きを感じさせるものだ。 ここに「花は半開を看る」の語を味わいたいものである。
そしてまた、酒も十二分に飲む勿れであり、ほんのりほろ酔い加減がいいのである。あまり飲みすぎ、酔いつぶれてしまうのは邪道であり、風流も解せない人であると言えよう。酒は味わい深く飲みたいものだ。ここに「酒は微醺(びくん)を飲む」の消息がある。
このように何事においても斯くのごとくで、すべてが満点、十分であるより、ほどほどのところで満足し、分を知ることでもある。徒然草の吉田兼好は「花は盛りに、月はくまなきをのみ見るものかは・・すべて何もみな ことのととのほりたるあしきことなり」といっている。つまり、花と云うのは何も満開の盛りだけ鑑賞するものではなく、月も雲もなく皓々として照り輝いている夜だけを眺めるものではない。むしろ雨の降る夜に隠れている月を思い、満開の花より、まだこれから咲こうという梢を見上げたり、或いはすっかり散ってしまった庭をしみじみ眺めるのも味わい深いものである。 「よろずのことははじめ終わりこそおかしけれ」 と云い、そのような見方が出来る人こそ真の奥ゆかしい品性の持ち主なんだといっているのだ。満開の花は誰が見ても美しいと感じられることだろう。しかし、これから咲く花、あるいは散ってしまった花を想像力で心の中に美しい花を咲かせ、趣を感じ得るのはそれなりの教養が必要なんだと兼好は言っているのである。これがさらにわび寂びの美意識につながるのだ。
まわりから見て、なんの不自由も心配もなさそうな人がいるが、そんな人に限って意外に深刻な悩みをかかえていたりする。それに、満ち足りた状態というのはおおむね長続きない。いや、そこまで登りつめたら、満開の花がすぐ散っていくように、転落する日も近いと覚悟すべき。だからいよいよ悩みも尽きないということになる。そう考えると、満開、絶頂はあまり誉められた状態ではないと思う。むしろそこまで登りつめないで、ほどほどのあたりが理想ということになります。「花は半開を看る」、この時期、改めてこの言葉を噛み締めてみたい。
目標に向かい一心不乱、本人は苦しくて分からないだろうが、錦織選手や卓球の石川選手がカッコイイ!目がイイ!輝いている!と、爺でも応援したくなる所以だろうな。
「花は開き始めるときに趣があり、満開を過ぎては興醒めする。」
「酒は飲み始めのほろ酔いが楽しく、泥酔しては風雅が壊れる。」
未完の美学を追及&推奨した名言だ!肝に銘じておこう!