「うん、君と同じ月を見ていると思うと、寂しくないよ」「紫式部がもし、今どきの女性だったら」日本最初の不倫エロ小説「源氏物語」紫式部に見習って別れをプラスに変えよう!
3月も終わりに近づき、この季節は卒業や人事異動で切ない別れを経験する人が少なくない。なかには、突然転勤を命じられて、恋人と遠距離恋愛に突入すべきか、もしくはサッパリ別れてしまった方がいいのか、結論が出せないまま引っ越しの準備をしている恋に悩む男女のドラマも多い様だ。今回は、切ない想いが約100万文字、54帖にもわたって綴られた日本最古の(世界最古とも言われている)大長編恋愛小説「源氏物語」に秘められた、千年の謎に迫ってみる。もちろん簡単に「千年の謎」を解き明かせるとは思えないが、ただ、今の価値観をもって作者の紫式部の人生を深掘りすると、「人生がラク」になるヒントがザクザクと見つかる。
源氏物語は女性が書きそうなロマンチックな恋愛小説ではない。冒頭からかなり刺激的なエロイ内容で始まる。シンデレラとドロドロの不倫ドラマをミックスしたような展開。紫式部は平安時代のセレブな家に生まれ、文才のある父のDNAを受け継いだお嬢様だった。史料には、幼女の頃より漢文を読みこなしたなど、文才あふれる逸話が紹介されている。 そして20歳も年の離れた山城守・藤原宣孝と結婚して、一女・藤原賢子(大弐三位)を生んでいる。ところが、紫式部が嫁いだとき、宣孝にはすでに3人の妻と嫡男がいた。セレブで文才あるお嬢様なぜ、20歳も年の離れた男性に4番目の妻として嫁いだのか。 さらに、藤原宣孝は紫式部と結婚してわずか3年後の長保3年(1001年)に他界しており、セレブな女性が未亡人になって、いきなり不倫小説を書くとは不思議? 「きっと、何かあるに違いない」すると、もうひとつ逸話が見つかった。 なんと、紫式部は結婚する11年前(987年)、後に源氏物語の執筆を援する藤原道長が左大臣の娘・源倫子と結婚した時、倫子付きの女房(使用人のこと)として出仕した(宮仕えすること)という。紫式部が最も早い生年とされる973年に生まれていたとすると、987年には14歳になっている。当時は結婚しても良い年ですが、紫式部は才女の評判が高かったことから、出仕させられたのかもしれない。今に置き換えれば「私、結婚より仕事を選びました!」ということ。倫子付きの女房の仕事をしている中で、藤原道長と出会い、深い関係になったのではないだろうか。つまり、こういうこと。(1)紫式部はいったん結婚より仕事を選んだものの、就職先の社長にあたる藤原道長と道ならぬ関係に陥ってしまった。(2)10年ほど不倫関係を続けていたが、25歳になったとき、賢明な式部は「このままではいけない」と思い直し、道長との関係を清算するため、20歳も年上の藤原宣孝と結婚し4番目の妻となった。(3)しかし、夫の宣孝は3年後に死んでしまった。このとき紫式部はすでに28歳。当時は年増といわれる年齢で、しかもシングルマザーになっていた。そんなトリプルパンチに見舞われて彼女は「この先、子供を抱えて、どうやって生きていこうか」と悩んだ。 (4)そう考えているうちに、「私がこんなことになったのは全部、道長のせいだ!」と思うようになった。しかも、その道長は“何も無かったかのように”どんどん出世している。「何よ、自分だけいい思いをして! このままじゃ許せないわ」と策を練った。 (5)賢く文才のある紫式部は、得意の情緒豊かな和歌や文章をもって、道長がかつての不倫を彷彿するであろう源氏物語を書き始めた。
源氏物語のストーリーは、藤原道長と紫式部が不倫したと仮定して物語に当てはめると、濃厚なメッセージが浮かび上がってくる。
1:桐壺帝は身分の高くない更衣を愛し、イケメンの光源氏が生まれる。⇒ 藤原道長(あなた)は妻の女房(使用人)にすぎない紫式部(私)を愛した。だから「源氏物語」が生まれるのよ(道長への果たし状?)。 2:光源氏が3歳のとき更衣は他界。桐壺帝は更衣と生き写しの藤壺を後宮に迎える。⇒ 私は結婚3年目で旦那と死別した。あなたはもう一度、私の面倒を見るべきなのよ(道長への宣戦布告?)。 3:光源氏は元服して左大臣の娘・葵の上と結婚するが、「女性は、上流より中流階級の方が素晴らしい」などと言って、次々に人妻や継娘、継母と不倫する。⇒ あなたの妻は、左大臣の娘だったわね。そんな妻より私の面倒をみなさい。そうでなければ、あなたとの不倫の日々を「源氏物語」で次々とばらすわよ(道長への 脅迫?)。
藤原道長といえば「栄花物語」に描かれたほどの出世頭。もし、この推理が当たっていたなら、藤原道長にとって源氏物語は脅威だった。情緒豊かな和歌と見事な心理描写で読む人を魅了するだけに、「いつ、この物語の真実が明かされるか」とハラハラしたらしい。というのも源氏物語が書き始められたとされる時期は、藤原道長にとって長女の彰子を一条天皇に嫁がせた非常に大切な時期だった。もし、このタイミングで、紫式部にカミングアウトされたら、たまらん。天皇の信頼を失うばかりか、妻の倫子も怒り出し、大変なことになる。そこで、賢い道長は紫式部のメッセージをプラスに受け止めて、彼女が宮廷で働けるように手配したばかりか、源氏物語を優れた文学作品と位置付け、紫式部に「どんどん続きを書け」と促したという。つまり道長は自身の不倫物語を一大文学作品に仕立て上げ、紫式部を作家に押し上げて、みずから支援することで、身を守ったことになる。
さらに光源氏の死後の物語として描かれた「宇治十帖」にもメッセージ性が感じられる。山城守(宇治市長にあたる役職)だった夫の藤原信孝を偲ぶ気持ちから書き綴ったのではないかと思われる。光源氏が他界していったん物語は終わったかに見えるのですが、舞台を宇治に移し、源氏の子孫の物語が描かれているからです。「不倫を隠していてごめんなさい。せめて償いの気持をこめて、源氏物語はあなたが守っていた宇治を舞台に終わることにするわ」――そんな紫式部のメッセージだったようだ。というのも、源氏物語は「宇治十帖」だけ仏教色が漂っている。ストーリーを要約すると、光源氏の面影を継ぐ匂宮と薫が同じ女性・浮舟を愛すが、浮舟は2人の男に愛されたことに苦悩して、宇治川に投身自殺する。しかし死にきれず、横川僧都に救われ出家する。それを知った薫が熱いラブレターを送るが、浮舟は一切、薫との関係を断ち切り、平穏に生きる道を選ぶ。この展開は紫式部が男性との関係をキッパリ断って、文学に生きることを夫の宣孝に告げたものと解されている。
めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに
雲がくれにし夜半の月かな (紫式部)
これは、百人一首に入選した紫式部の和歌、3年の短い間、夫だった宣孝への深い思いが感じられる。
紫式部も血の通った女性だったはず。こんな見方も一理ある。この「紫式部的な生き方」は、私たちに大きなヒントをくれる。たとえば、いきなり転勤を命じられて恋人と離れてしまうあなた。迷わず「遠距離恋愛」に挑戦してみる。せっかく愛し合った仲なのだから、これからも、メールやLINEで情緒豊かな文章でメッセージを送れば、心が離れない。「着いた? 寂しくない?」「うん、君と同じ月を見ていると思うと、寂しくないよ」なんて、キザセリフをいつものメールに情緒豊かな表現をプラスすると、かえって愛情が深まることもあるかも。ただ、文才豊かな人との不倫は絶対に避けるべき。突然、不倫小説を書いて「これは実体験です」なんてカミングアウトされたら、たまったものではない。愛は、情緒豊かな文章が心に響く相手と育みたいものだ。
最近は不倫騒動がTVワイドショーを賑わし、なぜか年齢に関係なく女性陣はそのてのニュースは誠に詳しい。ベッキーや乙武、石井竜也・・・うちのヘルパーさん全員が「誰と誰がどうの、誰の元カノは誰、別れの原因はナニ、などなど」人間相関関係にメチャクチャ詳しい、真剣な目で話してきて、「そんなのどっちでもエエが!国債デフォルトの方が・・・」なんて言おうモンならドン引きされて日々暮らす、還暦爺です。