♪貴様と俺とは同期の桜 離れ離れに散ろうとも 花の都の靖国神社 同じ梢(こずえ)で咲いて会おう(同期の桜)♪憲法改正で今年の桜はキナ臭い?肩身の狭い靖国神社の桜
花は桜。東日本大震災を経た今では、今年も桜をめでられるのは幸せだ、としみじみ思う。ならばせめて美酒とともに春の訪れを喜びたいが、憲法改正が永田町で真剣に語られる今年の春は、花の香りに何やらキナ臭さも忍び込む。花のお江戸で桜の名所。
◆靖国神社
参拝の若者「やっぱり9条改正しなきゃ」
1987年に亡くなった俳優、鶴田浩二さんの歌声を思い出す靖国神社(東京・九段)の桜は21日に開花が宣言された。ソメイヨシノなど約400本が境内で花を咲かせる名所だが、訪れたこの日は寒の戻り。チラホラ開いた桜が北風に吹かれていた。参道の大鳥居をくぐると、意外にも人が多い。10〜20代らしき若者が目立つ。折り目正しく、鳥居の前で深々とこうべを垂れるカップルもいる。
「散歩がてらよく来ます。戦没者が命をささげたおかげで今の僕らがいる。英霊に感謝するのは当たり前です。安倍晋三首相の(2013年12月の)参拝に中国や韓国が文句を言うのはおかしい」と語るのは男子大学生。友人の男性も「改憲? 賛成ですよ。やっぱり9条改正しなきゃ。今の憲法は非現実的だから他国に『やられる』。安倍さんなら改憲してくれますよ」とうなずいた。
あでやかな和装の女性もいる。「着付けを習ってボーナスで和服を買って。靖国にお参りする時は日本女性としてきちんとしないと」。特攻隊を描いた百田尚樹さんの小説「永遠の0」に感動したという。「今の平和は国のために戦った彼ら立派な若者たちのおかげ。私たちが憲法を変えて国を守る覚悟を示さないと英霊に申し訳ありません。そうじゃないですか?」。先人の死を悼むのは自然の感情だろう。だが、この神社にわだかまりを抱く戦没者遺族らがいるのも事実である。複雑な思いを胸に、境内の資料館「遊就館」へ。売店には「だから日本は世界から尊敬される」「日本人はとても素敵だった」「日本が戦ってくれて感謝しています〜アジアが賞賛する日本とあの戦争」といった本に人々が群がっていた。
その「立派な若者たち」をだれが、なぜ死なせたのか。遊就館を歩き回っても答えは見えない。近現代史を説明するパネルでは「満州事変」を詳しく説明しないまま、日中戦争の主因は「(中国の)排日感情」、太平洋戦争は「米国の対日石油禁輸措置が引き金」との趣旨の説明が並ぶ。何よりあれだけの人命を消耗してなお、原爆を落とされるまで戦争を続けたのはなぜか、といった内省を感じない。処刑された東条英機元首相らは「昭和殉難者」と紹介されていた。特攻隊員の遺書や遺影が並ぶ一角で、先ほどの女性が目を潤ませている。戦史研究家では「日本軍の戦没者の多くは、戦死ではなく餓死や病死です。当時の指導者は兵士らに食料を与えることすら怠り、彼らを戦場に放置したんです。戦争の現実は、そんな美しいもんじゃない」と憤っていた。
桜は散り際が美しい。靖国神社も戦死を「散華」と呼ぶ。でも遺書すら残せず、インドや東南アジアの密林で「人間の尊厳を奪われた形で人生最後の瞬間を迎えなければならなかった」英霊たちは、この神社をどう見ているのだろう。
「中韓との外交問題に発展した05年の小泉純一郎元首相の靖国参拝以来、靖国を訪れる若い人が増えたように思います。しかしそれはナショナリズムというより『日本大好き!』みたいな、フェティシズム(偏愛、崇拝)的な意識に近いのではないか。思うようにならない自分、不如意な社会状況下で『強い日本』というイメージにすがり留飲を下げる、慰めるという……。安倍首相の靖国参拝や改憲を訴える姿は、そのイメージに重なるのかもしれません」
◆上野公園
「東京の人、原発関心ないでしょ」
1200本の桜のある上野公園。震災に揺れた5年前の春、都が宴会自粛のお達しを出し、節電で上野の山は暗かった。今年は、満開前に訪れたのに、あちこちで宴会の輪ができている。芝生で車座を作るのは、翌日が大学の卒業式という男子学生4人組。一人が「俺らは何とか就職は決まったんです。でもまだ決まっていないやつもいるし……。で、実際どうなんすか景気。アベノミクスは大丈夫なんですかねえ?」と聞いてくる。焼きそばをつまみながらビールを流し込んでいたのは物流企業勤務の40代の2人組。「給料? 上がらないよー。大企業はアベノミクスでいい目を見てるのかもしれないけどさ」「カミさんがうるさいんだ。カネがない、たばこ代が高いから禁煙しろって。で、家に帰りたくないからここで飲んでんの」
湯島天神近くの居酒屋「岩手屋」の縄のれんをくぐる。目当ては岩手県陸前高田市の銘酒「酔仙」。盛岡市出身の主人、内村嘉男さん(80)はあの日の夜、テレビで酔仙の蔵元が津波で流される映像を繰り返し見せられた。「蔵元さんが隣の大船渡市に新工場を建てて、また酔仙が飲めるようになりました。そういえば酔仙の蔵元には見事な桜並木があったんです。花見の名所だったんだけど、津波で全部なくなって……」
三陸名産の海藻のマツモで酔仙を飲む。「復興もまだまだ。また防潮堤を造るんでしょ? 海が見えなくて、逆にみんな不安になるんじゃないですか。アベノミクスだって、みんな物価が上がって困っているでしょ。それじゃ誰もお金は使いませんよ」。耳を傾けるうち、酔仙がほろ苦くなってきた。
故郷・福島県会津若松市の食品企業に就職する別の学生は「将来の親の介護、震災のこともあるから、地元で働きたいな、と」とボソリ。東京電力福島第1原発事故の3、4日後に家族で新潟の親族の元に一時的に避難した。「事故はマジでびびりました。再稼働? うーん、自分は反対だけど……。福島の人間じゃないと分からないですよ、あの怖さ。東京の人は、もう別に関心ないでしょ」と辺りをぐるりと指さした。
「いまだに原発事故も収束していない。避難者もいる。なのに再稼働です。あの戦争も原発事故も僕には根が同じに見える。なぜ惨禍を招いたか。真相解明も不十分だし、責任の明確化も避け、うやむやのまま前に進む。71年前と同様、この国には『お上』と一体になって、いろんなことを水に流して済ます国民性が残っているのでしょうか」。桜が潔く散るように、大切なことを潔く水に流しては困るのだ。