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「花より先に実のなるやうな 種子より先に芽の出るやうな 夏から春のすぐ来るやうな そんな理屈に合はない不自然をどうかしないでいてください」


桜の名所として知られる大阪の造幣局の「桜の通り抜け」が8日から始まり、大勢の人たちでにぎわっています。昨日の春の空っ風でも花武ふぶかれることなく、満開です。大阪・北区の造幣局で行われる「桜の通り抜け」は明治時代から130年以上続く大阪の春の恒例行事で、ことしも1品種増えて133品種、349本の桜を見ることができます。午前10時に門が開かれると、行列を作って待っていたおよそ800人が次々と中に入り、長さおよそ560メートルの並木道に植えられたさまざまな種類の桜の花を見比べて楽しんでいました。造幣局が毎年選んでいる「今年の花」は「牡丹」という品種で、花びらが15枚ほどあり、ふっくらとした牡丹の花を思わせる大輪の淡い紅色が特徴です。近くで見ると、幾重にも花びらが重なって大きくふっくらと咲く姿は本当にぼたんの花によく似ています。 さらに、桜の通り抜け、133年の歴史のなか、今年になってようやく品種がわかったという桜があります。それが「類嵐」です。見た目はソメイヨシノによく似ているのですが、白く上品な花を咲かせるのが特徴です。造幣局の桜の通り抜けは今月14日までで、夜間はライトアップも行われ、期間中、およそ60万人が訪れると予想されています。

桜が散り始める時期に成ると子供のころ「カッコイイ」と覚えた句がある。テレビで観た忠臣蔵の浅野匠守の辞世の句。 「風誘う花よりもなお我はまた春の名残をいかにとやせん」

大石蔵之助はこの主君の辞世の句を読んでその仇討ちを決意したと言われている。「春の名残」とは匠守が吉良上野介を 討ち果たすことが出来なった後悔の念をあらわし「いかにとやせん」に「何とかしてわが無念を果たして欲しい」との意思が込められている。通解すれば  風に誘われて散ってしまう桜の花も 名残惜しいのであろうが

 上野介を討ち果たせずに散っていく=自害しなければならない自分の

 ほうがはるかに無念である。 (何とか自分の仇を討って欲しい=上野介を討ち取って欲しい)

また句のなかの我はまたの「また」という接続詞に深い意味が有る。

「このやさしい春風が、私を美しく桜の花のように散ろう散ろうと誘うのだが、私はやり残したことがあるのだ。この若い身空で、あの世へ旅立つことをどのように伝えたらいいのだ」

無念な気持ちで切腹させられる気持ちが伝わってくるのがカッコイイではないか。

冒頭フレーズは高村光太郎の智恵子抄の中の「人に」、というタイトルの詩です。高校時代に読んで、青春の多き悩みに共感する文言に酔っていた太宰治ぶっていた自分。この最後のくだりが、たまらなく好きです。恋しい人がお嫁に行ってしまうことを全身全霊で嘆く場面です。不自然とはこういうことかと、妙に納得した日々を、多少なりとも苦々しく思い出す。

調子に乗って詩全文を下記します。裂きイカの様に時間をかけて噛みしめて味わってみて頂戴。

「人に」

遊びぢやない 暇つぶしぢやない あなたが私に会ひに来る ――画もかかず、本も読まず、仕事もせず―― そして二日でも、三日でも 笑ひ、戯れ、飛びはね、又抱き さんざ時間をちぢめ 数日を一瞬に果す ああ、けれども それは遊びぢやない 暇つぶしぢやない 充ちあふれた我等の余儀ない命である 生である 力である 浪費に過ぎ過多に走るものの様に見える 八月の自然の豊富さを あの山の奥に花さき朽ちる草草や 声を発する日の光や 無限に動く雲のむれや ありあまる雷霆(らいてい)や 雨や水や 緑や赤や青や黄や 世界にふき出る勢力を 無駄づかひと何(ど)うして言へよう あなたは私に躍り 私はあなたにうたひ 刻刻の生を一ぱいに歩むのだ 本を抛(なげう)つ刹那の私と 本を開く刹那の私と 私の量は同(おんな)じだ 空疎な精励と 空疎な遊惰とを 私に関して聯想してはいけない 愛する心のはちきれた時 あなたは私に会ひに来る すべてを棄て、すべてをのり超え すべてをふみにじり 又嬉嬉として


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