「初鰹は女房子供を質に置いてでも食え」「初物を食べると寿命がのびる」「初鰹」は粋の証。「青葉」「ほととぎす」「初鰹」の3つの季語を単に並べた?
「目には青葉 山ほととぎす 初がつお」
新緑したたる清新な季節感をうたった山口素堂の名句ですが、春の季語を三つ並べ、各単語は分かるが「句」全体としては正直「何が言いたいのかよく解らない」。カツオは熱帯の海から春先にかけて九州近海に来遊、北海道沿岸に向かって北上します。この「上りカツオ」を『初ガツオ』と呼びますが、一方、身に脂を乗せて晩夏から秋にかけて南下するのを「戻りカツオ」と呼びます。あっさりして、さわやかな「上りガツオ」がやはり人気があり、「戻りガツオ」は脂が乗ってこってり気味、ややしつこさがありあす。かつてはマグロも赤身を最上としてトロは一段下に見られた時がありますが、トロが看板になった今でも「戻りガツオ」は脂がくどいと使わないすし屋も多くあるようです。しつこい脂を嫌い、あっさり感を好むのが江戸っ子の気風ですが、江戸っ子たちが『初ガツオ』を珍重しましたのも、新鮮さ、みずみずしさのためです。『初ガツオ』は値が張りますが、「女房を質に置いても食べたかった」というくらい美味であり、たたきや刺し身はもちろん、煮ても焼いても炊いても最高です。ちなみに、『初ガツオ』は「戻りガツオ」と比べて極めて低カロリーです。脂質はほぼ10分の1、エネルギー量は100グラム当たり114キロカロリーと3分の2ほどです。肉類に比べれば、その半分の低カロリーで、肥満気味で生活習慣病が気になる方にとりましては最適な健康食です。また、DHA(ドコサヘキサエン酸)、EPA(エイコサペンタエン酸)といった脂肪酸を多く含み、DHAには脳の機能を高める働きがあり、一方のEPAは血中の悪玉コレステロールや中性脂肪を減らし、心臓病や脳卒中を防ぐ作用で知られています。
目にも鮮やかな「青葉」、美しい鳴き声の「ほととぎす」、食べておいしい「初鰹」と、春から夏にかけ、江戸の人々が最も好んだものを俳句に詠んでいます。この句が一躍有名となり、江戸っ子の間では、初夏に出回る「初鰹」を食べるのが粋の証となりました。
日本の食文化は、季節を感じながら、季節の味をいただくことを大切にしているので、いち早く季節のものを味わうことは大きな喜びなのです。旬の走りは珍しさが先行して値段も高めで、もう少し待てば盛りになり、味や値段も安定するのですが、それを待つのは野暮というもの。初物に手を出すのが粋の証だったのです。とはいうものの、当時、「初鰹」は極めて高価で「まな板に 小判一枚 初鰹」(宝井其角)と謳われるほどでしたが、「初鰹は女房子供を質に置いてでも食え」と言われるほどの人気でした。初鰹が支持されたもうひとつの理由が、初物の縁起の良さにありました。初物とは、実りの時期に初めて収穫された農作物や、シーズンを迎え初めて獲れた魚介類などのこと。初物には他の食べ物にはない生気がみなぎっており、食べれば新たな生命力を得られると考えられ、さまざまな言い伝えも残っています。
「初物七十五日」(初物を食べると寿命が75日のびる)
「初物は東を向いて笑いながら食べると福を呼ぶ」
「八十八夜に摘んだお茶(新茶)を飲むと無病息災で長生きできる」(新茶を贈る風習もあります)
初鰹も同様で、「初鰹を食べると長生きできる」とされ、大変珍重されました。江戸の初鰹は鎌倉あたりの漁場から供給されたため、松尾芭蕉は
「鎌倉を生きて出でけむ初鰹」と詠んでいます。
初鰹、おいしい。これは味覚です。かつおの好きな方はこの句を少しもじって「ネギ大葉、山ほど盛って、初鰹」なんて詠む方もいる、旬の良さとともに食べ方の良さも示している。食べ方といえば、高野豆腐や焼麩。このまま食べても味もそっけもない。そのままで喜んで食べるのが鯉です。鯉池の中に投げると一斉にバシャバシャと群がってやってくる。麩は人間はそのままはあまり食べない。その麩も料理の中で使うと、とても美味しく頂ける。麩の中においしい味がしみ込んで、とても美味しくなる。最近「明日のもと~」などと宣伝している「味の素」。子どものころは漬物を食べる時も、味の素を振って、醤油をかけて食べていたことを思い出す。それが健康によくないのでは、ということだったのか、使わなくなってしまった。いま調味料もたくさんあるが、その調味料を、それだけで舐めてもあまりおいしいとは思わない。でも料理の中に入っていくと何とも言えない味を出してくれる。高野豆腐や焼麩も料理に入ってこそ、その価値があるというもの。それだけでは味わえないものを持っている。仏の教えもこの味に似ている。その教えが人の中に入ってこそ、何とも言えない味を出してくれる。仏の真の価値があらわれてくる。
さて、冒頭のこの俳句の意味を書いてみると、次のようになる。
目には新緑の青葉が映り、
耳には山にいるほととぎすのさえずりが聞こえ、
口には初鰹の味が広がるものだなあ。
俳句には季語があり、ここにある季語はなんと「青葉」「ほととぎす」「初鰹」の3つで、全て夏。 季重なり、という通常嫌われる用法だが、この場合は成功している。その理由としては、以下の4つがある。
①この俳句の作られた江戸時代にいた人々が、春から夏にかけて(正確には5月頃)に最も好んだものを羅列したから、ということがある。つまり、馴染みやすかった。
②この句は、5月の初夏の風景を、世界観を表現するのに欠かせない五感を巧みに用いている。 また、元の句をよく見ると、「目には」とありますが、「耳には」「口には」がない。 この句を作った山口素堂は、「『目には』と書けば、自然と『耳には』『口には』という言葉が浮かぶだろう」とわざと省略しているのである。少ない文字数で世界観を表現する俳句にあっては、非常に優れた表現技法と言える。
③元々「青葉」と「ほととぎす」は、組み合わせて詠まれる詠題として古くから出されてきていた。そこに「初鰹」を加えた素堂の句が、新奇性があり、かつ認められたといわれる。
④最初の「目には青葉」で字余りが起きており、ここで一旦ゆったりとする。それを利用して、初夏の情景を浮かばせようとしてる。そこからは字余りもなく進むため、テンポよく畳みかける、という技法も盛り込まれている。これらが季重なりを相殺している、ともいえるかもしれない。とにかく、俳句界では卓越した言葉の技法らしい。
本日、東大の入学式が1東京の日本武道館で開かれ、2016年度入学から初めて導入した推薦入試の合格者77人を含む新入生3146人が学生生活のスタートを切った。五神真学長は式辞で「スマートフォンやパソコンを使って一通りの情報を瞬時に得ることができるようになった。しかし、真の知識は人が自ら経験し、思考することによって生み出される」と強調。さらに「新聞を読みますか」と問い掛け、記事を読む習慣を身に付けるよう求めた。
ノーベル物理学賞を受賞した梶田隆章東大宇宙線研究所長も出席し「学問や実社会の最先端に立つと、どんなことが課題や問題となるかを見抜く力や、予期せぬことに出合った時に、きちんと問題として捉える力が必要になる」と述べた。
全くの御意であり、「そのニュースの核心は?!」「その本質は何!?」とマスコミ報道をはじめ見聞きする神羅万象、他人の言葉や前述のような先人の言葉などを、自分が納得できるまで咀嚼しようと心掛ける還暦爺はうなずく本日であった。