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3つの地震が同時発生 気象庁「観測史上、例がない事象」 災害も厄年。天災なのか人災なのか、人間が自然をおごった犯罪じゃないかな


災害も厄年。寒さが和らぎいよいよ春本番と歓んだのも束の間。一昨晩は揺れの大きかった地域に住まいの方はもちろんだが、速報に接した人の多くが「震度7」という揺れの大きさに驚いた。震度7というのは震度階級の最大震度で、計測できたものとしては過去に3例しかない。1995年の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)、2004年の新潟県中越地震、2011年の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)で、熊本県益城町で今回観測した震度7が4例目となる。気象庁は今回の地震を「平成28年熊本地震」と命名したが、改めて地震予知の難しさを思わずにはいられない。

特に災難や不幸が及ぶおそれがあるので、万事に注意しなければならないと信じられてきた年齢を、一般に「厄年」と呼んでおります。科学的、合理的な観点に立つ現代人のなかには「厄年なんて迷信だ」と否定し、一笑に付す方もおります。その理由は、やはり厄年を科学的に説明できないからであり、また厄年には合理的な根拠がないからだと思います。その一方で、厄年を気にかけている人も大勢おります。迷信と言われながらも、厄年という俗信が旧態依然として生き続けているのは、厄年が長い歴史と伝統に支えられているからだと思います。つまり1200年以上も前から現代に至るまで、厄年は広く世間で信じられ、人々の日常生活を左右してきたという現実があります。そもそも何が迷信であり、何が正しい信仰であるかは、とても難しい問題であります。ただ、科学で説明できないもの、理不尽なものはすべて迷信であると頭から決めつけてしまう、科学的・合理的でないものは、自分たちにとって取り上げるだけの価値がないもの、このような考えだけでは、この世の中は無味乾燥なものになってしまいます。この宇宙には科学で説明できないものがまだまだ沢山あるからです。

そこで少し退屈な話になりますが、わが国における厄年の起源からお話しすることになります。一般的に厄年は陰陽道に起源すると言われていますが、正直なところ詳しいことはよくわかりません。陰陽道は平安時代に盛んになり、陰陽寮という国家的な部局が置かれ、そこには陰陽博士をはじめ、天文博士、暦博士などが配属されていました。陰陽寮では、陰陽道、天文道、暦道などの学問が行われ、また、博士たちの配下で技術を学ぶ陰陽生、天文生、暦生らがいました。近年、陰陽師がテレビドラマや映画、あるいはマンガなどで取り上げられており、過日(10月31日)も、ソチ五輪金メダリストの羽生結弦さんが「ISUグランプリシリーズ2015 第2戦 カナダ大会」で、陰陽師をイメージした衣装をお披露目しておりました。そのようなわけで、陰陽師や陰陽道のことを多くの人々は知っておりますが、その詳しい内容にまで及ぶと複雑であり、一概に説明するのは困難であります。ですから厄年が陰陽道に起源すると断言するのも、慎重を要するのであり、今後の研究をまたねばなりません。そうは言うものの、「厄年」という語は陰陽道が盛んであった平安時代に現れます。詳しく言いますと『うつほ物語』第20巻・楼上(ろうのうえ)〔下〕に、次のようにあります。──左の大殿(おとど)の厄年におはするとて、大饗(だいきやう)せられねば、今二ところも、何かはとてあれば、「さうざうしかるべい年かな」と人いふ。──この記事は「厄年」という語の最も古い用例です。通説によれば、『うつほ物語』は平安時代の中期に源順(みなもとのしたごう:911〜983年)が著した長編の物語と言われております。ですから厄年という語は、すでに1000年前に使われていたことがわかります。ただ、『うつほ物語』に記す左の大殿・左大臣源正頼(みなもとのまさより)の厄年が何歳であるかは、明白でありませんが、恐らく61歳の厄年であったと思われます。ここでは左大臣が厄年でいらっしゃるということで、正月に行われる大臣大饗はなさらないと記してあります。大饗とは平安時代、正月に年中行事として行われていた大きな饗宴であり、今の言葉で言えば大宴会ということになります。そのような正月の大臣大饗を左大臣は「厄年」なのでなさらないのであるが、お二方、これは太政大臣藤原忠雅(ふじわらのただまさ)と右大臣藤原兼雅(ふじわらのかねまさ)のことで、そのお二人も正頼にご遠慮なさり、大饗を取りやめられたとあり、人びとは互いに「今年は物足りない年だなあ」と言ったと記してあります。左大臣源正頼の「厄年」が周辺の人びとにも影響を及ぼしていることがわかります。このように平安時代の公家社会では、厄年が人びとの生活を左右していたのであります。

マグニチュード9の地震も、10メートルの津波も、1,000ミリの雨も、もっと言えば地球温暖化も、この地球にとっては大したことではなくて、表層で寄生者たる人間が騒いでいるだけのことなのだろう。災害のたびに、私たちのか細さと、自然の無情さを感じる。それは、自然にも、地球にも、宇宙にも感情はありませんから、当然のことだと思う。災害に巻き込まれ、首尾よく助かっても、そこに善人も悪人も関係ない。だから、自らの身は、自身で守るしかないと思う。それでもだめなときは、「運命」というありふれた言葉で自身を納得させて受け入れるしかないのだろうな。プールに飛び込み首の骨が折れ、突然、手足が動かない障害者となった自分は、そう思う。自業自得なんだけど。


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